パステルヒーリングアーティスト
2014年よりフリーのイラストレーターとして活動をはじめる。
2018年ギャラリー銀座にて初個展を主催。
同年パニック障害、てんかんを発症し療養のため地元三重に戻る。
現在は伊勢と東京を拠点として創作活動を続けている。
幼少期
私は淋しさ、孤独、不安や恐怖を誰にもわかってもらえないといじけ、文字通り1人石になって1日中その場から動かないでいる怖がりな子どもでした。
何故か人の誕生日がわかったり読めない英語が読めたりと漫画のような不思議な体験が多い幼少期でした。
『何故生きているのか?』
心の拠り所は頭の中に浮かぶ『光の世界』でした。
その世界では自然の中で色々な生き物が人と触れ合い楽しそうに生きていました。
私はそこにいると安心できました。
日常では常に敏感で喘息になったり、鼻炎が止まらず常にティッシュ箱を持ち歩いていました。『何故自分は人と同じ事がなかなかできないのだ!』という怒りと悲しさがいつも付き纏っていました。
やがて成長していく中で体調は良くなり自然とその感覚は薄れていき、田舎から東京に出て、絵を描いたり、お芝居、歌、身体を動かし表現する事に楽しみを感じて青春を謳歌しました。その時期は今思い出しても楽しい特別な日々でした。
社会に出て後は
様々な表現者やヒーラーと呼ばれるセラピストと出逢い生きる楽しさや深さを教わりました。
『ヒーリング』の世界を知り、日々の生活『日常』を大切にする事で安らぎを感じる事を教わりました。
しかし学べば学ぶほど、逆にふと1人で部屋にいる時に感じる淋しさ、孤独、何故生きているのかという問いが何度も浮かんでくるようになり眠れなくなりました。
その中で出逢ったのが『パステル画』だったのです。
このパステルという画材は粉末状にする事により繊細で淡い表現を可能とします。
私はここに幼少期のあの『光の世界』を見いだしました。
絵の描き方、技や上手さではなく、心のありようがパステルと自分に合致したのです。
私はこの想いを想いのままパステルで表現することにしました。
その日々は解放的でした。
優しい癒やしの世界を描く事で自身が一番癒されていたのだと思います。
しかしパステルに出逢った後も
私は心を大事にしているつもりでも自分の身体には無頓着でした。
イラストの仕事やバイトで日常をしのいでいる中で徐々に悪夢を見る事が多くなりました。
夢の中でも毎日殺される夢を見ました。
好きな仕事とはいえ寝る間も惜しんで絵を描き続け、身体が悲鳴をあげている事に気づきさえせず、結果夜中にパニックを起こしました。
そして30歳を過ぎ、私はてんかんと診断され自分の人生を見直す事になりました。
思えば私の半生は人の反応を意識する日々でした。周りがどう思うか?これをやったらどう反応するか?気分転換の散歩をする時でさえ周りの目が気になっていました。
その時の身体の緊張を何もなかったかのように押し殺し日常を生きていました。
中学生の頃いじめのターゲットにされた事は人格形成の一つの転換点でした。友人だと思っていた人達の陰口をたまたま聴いてしまい、自分はそんな事に負けはしないと怒り、張り詰め、悲しいという本音を認めない事で凌いできました。
しかし社会に出てもコミュニケーションの教室に通ってもやはり人への信頼より疑う気持ちが強かった。
ある程度仲良くなるとだんだんと疎遠になる。
イラストやバイトをしても叱られるのではないかという気持ちが先行してミスをする。自分は急いでいるつもりでもモタモタするなと叱られる。しまいには吐き気を催す。自分の中でイメージする普通の人がやっている事が自分にはできない。自分は社会不適合者なのか?嫌だ認めたくない。そのようなループにより結果篭りがちな性格に拍車がかかる。
自分自身の思い込みの強さがそのように現実を作り出していました。
そのような事は世間でもある事だと思います。
しかしそれらよくある事を自分はよくある事だから大丈夫と向き合わずに目を逸らしがちでした。わかっているつもりでいました。
自分の本音に向き合う事で自分の本当のやりたい事が腑に落ちてしまうと今の生活が壊れる事を怖がっていたのだと思います。
しかしそれはもう限界と身体がストライキをおこしガタがきた。
1人でいると逆に云われようのない恐怖が襲ってくるようになり、今までの精算をするかのように誤魔化しが効かなくなった。
やはり人と関わりたい。篭るな。でも身体は動きたくないと自分を無意識的に責め恐怖が溢れて動悸が激しくなり倒れる。
その波が延々と続く日々。
そのような流れが長く続きました。
そして現在、
私は田舎の自然の中に身を置き『日常』をすごしています。
小さい頃から自然の中に身を置くと不思議と魂が戻ってきたような感覚があるからです。
その中で今は只々、自分の波を波のまま感じきる事をしています。所謂インナーチャイルド療法と呼ばれるものだと思いますが、
自分に優しく、ありがとうと声をかけ、無理して生きてきた事を謝る。徐々に拗ねた冷め切っていた子どもの頃の自分が外の世界を向く余裕が生まれています。
その暮らしができるのは何よりも両親や周りの仲間が支えてくれているおかげです。
はじめは田舎に戻る事は直感で良い事だと思いつつもエゴの自分がそれでは負けだとよく分からない理屈をいっぱい並べ立て抵抗していました。
しかし両親や仕事仲間は何も忖度なく東京と田舎を行き来すれば良いと返してくれました。その反応が自分には安らぎに感じました。
この一連の流れはエゴの塊だった自分へ向けて身体が自分の人生を見つめ直させてくれたのだと思っています。
何故生きているのか?
その問いは今も私の中にあります。
しかしそれは苦しみからの問いではありません。
てんかんと診断された時、何故か自分はふと納得し安心感を感じたのです。
憑き物が落ちたかのような感覚でした。無理をして世間の常識に合わせていたものがこれからは自由に生きて良いと言われたような感覚でした。
人の幸せ、生き方というのは一人一人違うものなのだと。頭ではなく心で納得したのです。腑に落ちたのです。
無理のない範囲で、風の吹くまま気の向くままを実践する。
それが自分の『楽』だといきつきました。
風の音(喜び)水の流れ(安らぎ)
鳥の声(未来)夕日の切なさ(郷愁)
これらは自分の作品の欠かせないインスピレーションの一例ですが、パステル画はそれら『日常』のエレメンツ(構成要素)が『光の世界』と巡り合う中で『ヒーリング』(癒し)として人の琴線に響くアートだと感じています。
私は今後も同じ想いの中で生きる多くの人たち。鑑賞してくださる方達の御魂に光と日常の安らぎが届いてくれれば幸いと想い、光を描いていきます。
根源と向き合う。
その中から生まれる作品を描く。その日常を大切にすごす。
それが私のアート(人生)なのです。
•2014年講談社マガジンファン感謝祭イベントコンペティションイラスト
•2015年ドラマ『女くどき飯』第六話劇中イラストデザイン
•2021年渡辺恵未エッセイ本『私は風』表紙デザイン
など
•2017年
【銀座】ミレージャギャラリー「メルヘン展」
【京都】ちいさいおうち「京の送り火と龍展」
•2018年
【銀座】GALLERY ART POINT 「ART SELECTION2018」「Felice 小さな贈り物展」
【原宿】DESIGN FESTA GALLERY 「Cells-illustration -vol.3」
【銀座】ギャラリー銀座「北島篤初個展 宇宙と人とアンドロイド展」(主催)
•2019年
【銀座】GALLERY ART POINT 「Love of the gift」「KIZUNA2019」
【阿佐ヶ谷】canow*FOREST「なつやすみの絵日記展」(主催)
•2020年
【銀座】GALLERY ART POINT 「北島篤個展 天使と悪魔展」(主催)
【阿佐ヶ谷】canow*FOREST「ぼくらのなつやすみ」(主催)
【代官山】UPSTAIRS GALLERY 「おもちゃのハコ」(主催)
•2021年
【銀座】アートスペース銀座ワン「銀座deアート ミニ額マルシェ」
【cluster 配信】「宴 地下之会 メメv1.00」
•2022年
【沖縄】The depsy「癒しの宇宙展」(主催)
【銀座】GALLERY AND LINKS81「神々の世界展」
など
•2022年からYouTube動画にてパステルアートを配信中